今だから書けるあの頃のエッセイ(2)「銀座4丁目の思い出」
2012-04-03



 銀座は大好きな街です。
 何かとご縁があって、出向くことの多い街です。
 たくさんの思い出もあります。
 時効ということで、あんなこと、こんなこと、書いてみたくなりました。

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  銀座4丁目の思い出 

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 銀座四丁目の交差点、一角にそびえる時計台は、言わずと知れた銀座のシンボル。銀座和光の屋上にある。
 私は、大学を卒業後、ここに就職した。高級品だけを扱った百貨店である。

 配属になったのは、インテリア用品・陶磁器・置き時計などを扱う部署で、売り場は地下一階だったが、さすがは花の銀座、多くの有名人が訪れ、ミーハーな新入社員は大いに楽しませてもらった。

 吉永小百合さん、松坂慶子さん、岸田今日子さん……。女優さんたちはだれもがみな、テレビで見るよりも小柄で色が白く、なにより凛とした品があった。
 黒柳徹子さんは、片方だけオフショルダーという大胆な服で現れ、斜めに見せた背中がまぶしいほど白かった。ほかのお客さんがサインを頼むと、
「プライベートなので、ごめんなさい」と静かに断っていた。

 今は亡き渥美清さんは、目覚まし時計をご所望だったのだろうか。寅さんのようにひとりでふらりとやって来て、陳列棚の前で腕組みをし、自分の顔とそっくりの四角い時計を、怖い顔でにらみつけていた。しばらくすると、またふらりと去っていった。

 フランク永井さんがまだ元気だったころ、店頭で接客したことがある。西陣織のアルバムを買って、のし紙に名前を書いてほしいと言う。結婚するチェリッシュのふたりに贈る祝いの品だった。文字書き専門の人に清書してもらい、のし紙の上からていねいに包装をして差し出すと、あの“低音の魅力”で、「ちょっと見せて」。
 仕方なく、包装を破いて解き、のし紙の文字を確かめてもらった。それをしないで、あわてて包んでしまった新米販売員の失敗である。

 あるとき、置き時計のカウンターに、背の高い初老の男性が近づいてきた。
「あれを、もらいたいんだが……」
 指さす先にあるのは、最近展示したばかりのとても珍しい置き時計だった。30センチ四方の透明なアクリル板の箱の中に何本かの細長い坂道があり、ピンポン玉の半分ぐらいの金属のボールが10個ほど、ゆっくりと移動して時を刻んでいる。すべてがうろ覚えだが、たしかスイス製で、27万円という値段だけははっきり覚えている。
 え、このお客さん、一ケタまちがってない?

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