○
仕事もプライベートも超多忙で、なかなか思うようにブログに向かえません。
書きたいことは山ほどあるのですが……。ごめんなさい。
○
○
今日は、昨日の新聞から、プチ自慢!
6月28日(土)の日本經濟新聞の朝刊、首都圏経済面の記事です。
○
浦和といえば、赤く燃える浦和レッズ。以前から高校サッカーも強かった。
そもそも、今からさかのぼること106年前、細木志朗という人物が埼玉師範学校に着任し、生徒たちに蹴球なるものを教えたのが、浦和サッカーの始まりだとか。
その細木志朗こそ、ほかでもない私の母方の祖父なのです。
○
右側の写真。黒い背広3人のうち、右端の男性が祖父です。
そして、その後ろのゴールポストは、なんと祖父の手作り。
○
祖父は、本当に手先が器用でした。私が子どものとき、わが家にあった積み木は、祖父のこしらえたもの。小学生になると、こんどはやはり祖父お手製の勉強机と椅子が用意される。机にはもちろん引き出しがあり、椅子にはおしゃれな寄席木細工の装飾もついていました。
私の知っている祖父は、やさしく穏やかなおじいちゃま。色白でやせていて、夏に裸になると、黄金バットのあだ名がついたものです。
とてもスポーツマンには見えませんでした。
○
○
さて、時は100年流れて、6年前の夏のこと。
浦和サッカー100周年を記念して、浦和レッズ vs FCバイエルン・ミュンヘンのさいたまシティカップが行われました。
そこで、細木志朗をしのんで、その子孫の細木一族が埼玉スタジアムに招待されたのです。祖父の子どもたちは6人いましたが、母以外、みな亡くなっています。
セコメントをする